在宅介護者向け〜辛い介護をしている方に〜
※介護者→息子さんや娘さん、お嫁さんなど
※要介護者→介護される人
介護負担と感じていなくても
なにか使命感みたいなものにかられて
親御さんや姑さんなどに対して
「今までと違う」
「自分のことは自分でさせないと」
と感じ、四苦八苦している方に読んでもらいたい
これまでのあなたとその方の関係性はわからないが
ただ言えるのは、あなたの言動や態度は思った以上にその方に影響しているということ
「全然言うことを聴いてくれない」
「他人の言うことならすぐ聴くのに」
という言葉を耳にするけど
実は一番理解して欲しくて、実は一番甘えたい相手であることが多い
【甘え】か【依存】かは見極めが非常に難しい
当人じゃないから
介護負担は、決して自分が無理をしていると自覚している方だけの問題ではない
その方のために…もっと昔みたいに…
は正直無理がある
何故なら段々と老いていくその方が、最期を迎える心の準備期間だから
これまでのその方の生きてきた経験を全開にして日々過ごしているから
どれだけ良いものがあっても、良い方法があっても
その方の経験になければ、それは存在しないのと一緒で
現代人の考えに合わせようと、介護者の年代の常識に当てはめようとしても必ず摩擦が起きる
それが介護者が要介護者に与える影響の強さだと思う
良くも悪くも
役所の人間が来て、身体機能の調査の時にいい格好をするのは当たり前
他人に甘えたりしないから
だから介護者による
- なんで○○なの?!
- 違うよ!!
- さっきも言ったよ!!
は、それだけ無理をして頑張っている介護者自身の叫びだと思っている
幸い今の時代は介護保険なるものがあるので
赤の他人に頼ったとしてもそれは一族の恥でもなんでもない
少しでも先程のセリフを心に感じたなら
あなたはきっと頑張っている人
その頑張りは、嫌というほど要介護者本人が感じている
感じて遠慮する
自分でやってみて転んで怒られる
どうしたらよいかわからない
高齢者の認知能力は大事な方の接し方や環境の変化で1日と経たずに低下すると感じている
よそよそしい雰囲気もすぐに感じとる
他人の薄っぺらい言葉も簡単に見抜く
頑張っている介護者を周りの人は
「大変だね」
とねぎらうかもしれない
ねぎらいの言葉も大事だが、悲惨な事件に発展する前に具体策を提示してくれる協力者を見つけて欲しいと願う
偉そうにと思うかもしれない
ちなみに私は親の介護はまだ経験がない
親の性格から将来こうなるだろうなんて考えているだけ
自分の親のことになったら冷静でいられないかもしれない
でもいろいろな社会資源は知っている
繋げ方を知っている
気持ちの変化や病気に伴う症状などの変化を知っている
知っているのと知らないのとでは安心感が違う
知っている協力者を作ろう
子育てと同じにしたら高齢者からバッシングを食らうかもしれないが、ママが辛い時はパパがフォローする、保育園がフォローする
家でみるだけが本人の幸せとは限らない